岡本の経歴【第一部 新社会人〜新米店長編】
こんにちは。事業承継パートナーズ コンサルタントの岡本です。
以前、私の簡単な自己紹介を記事にさせて頂きましたが、本日はそちらを少し掘り下げて記事にさせて頂きたいと思います。
まずは、第一部として、社会人1年生からアパレル店長時代について、どんな思考で業務を遂行していたのかを書いてみたいと思います。失敗もあります笑
ご興味ありましたらお付き合い下さい。
1.学生〜新社会人時代
学生時代に教職免許を取得しましたが、先生になろうと思った訳ではありません。「大学に進学するなら何か資格を取る」という家族内での約束があったからです。
そして、興味を持って進んだ学部に教職課程がありましたので、では、その資格を取ってみようと、なんとも安易な行動からきた結果となります。全くかっこいい話にはなりませんね笑
ただ、単位を執るのには多少苦労はしました。存分に遊ぶつもりでいましたので、そこは計算外でしたね。
卒業後は、以前から興味のあった宝飾の世界に携わりたく、宝石鑑定士の資格であるGIA.G.G(米国宝石学会宝石鑑定士)を取得し、鑑定士として社会人デビューです。
このGIA.G.GかイギリスのFGAという資格を持っていないと宝石鑑定士として仕事はできません。
また、卸業や小売では資格は必須ではありませんが、持っているのといないのでは、需要も信頼度も大きく異なります。
これにより、若年であっても資格があることで信頼してもらえるという、資格の強さを実感しました。
同時に資格があるだけでは通用しない、経験というものの大切さも感じた20代でした。
仕事自体は楽しかったのですが、若いうちに興味のある職業は体験しておきたいと思い、思い切ってアパレルへ転職を決意したのです。
2.アパレル(セレクトショップ スタッフ時代)
かなり個性的な品揃えのセレクトショップへ就職しました。
求人が出ていた訳ではありません。
私の贔屓にしていたショップでしたので、働くならここ!と決めており、お店に自分を売りに行きました笑
どうしても働きたい旨を伝え、未経験でしたが、どうにか滑り込みましたね、粘り勝ちな感じです。
店舗数は2店舗と小規模ながら、日本では知られていないブランドを発掘している、かなり奇抜でユニークなショップでした。
配属されたのは本部の業務もこなす、神戸のショップ。
社長が在中しているショップでしたので、ここで後々沢山の事を学ばせてもらう事になります。
最初意識していたのは、売上目標のクリアと皆で楽しく仕事することです。
宝石鑑定士の頃は1人の仕事ですから(朝から晩まで顕微鏡と向き合っているだけなので)チームワークを考えたことはありません。
チームで課題をクリアしていく楽しさや喜びはこの時に芽生えた感情です。
3.新米店長時代
一年ほどで、スタッフから店長に昇進し、6名の部下ができます。ここで頭を打つことになるのですが、それは後ほど。
主な業務としては
店舗運営全般(商品構成、スタッフ・数字・商品の管理、仕入れ、新人育成、人事)や、細々した事務作業、それに加え、メーカーとの交渉等と多岐に渡りました。
【商品構成・仕入れ】
とくに商品構成の組み方には知恵を絞りました。
前年の売れ行き動向を参考に、今年の流行、気温や季節の速度(梅雨が早く明ける、や、冬が長く寒いなど)を予測しアイテムの割合を考えたりイベントを組んだりします。
仕入れはそのシーズンに注文できる物もありますが、大抵は半年後、遅ければ1年弱後に店頭に並ぶ物を展示会などで選びます。ですので夏に冬の商材を買い取るのです。
これはかなり怖いです。大体次に流行るであろうスタイルや柄などは世界のデザイナー達がある程度、既に決めています。
まだSNS、インターネットが盛んではなかった時代ですので、この情報を集めるのに苦労しました。
海外の雑誌から情報を得たり、メーカーさんと親しくなるのも1つの手でしたね。
あとは、上顧客の好みや利益率等を考慮し、商品を仕入れます。
【差別化:オンリーワン思考】
お店の差別化には特に気を配りました。
当時、セレクトショップが流行っていたため、どこにでも海外から輸入してきた商材が溢れていましたので、どうしても他社とブランドが被る時もあります。
そんな場合は同じブランドでも他社が仕入れていないであろう、普通の人は着こなせない品を多く置くように、保守的ではなく、完全に攻撃的、特攻隊長的な品揃えを意識して仕入れていました。
つまり、着こなせる人だけお客様だったらいいという、思い切った刺さる人には刺さるスタンスを意識していました。
そのため、うちのセレクトショップの服を着る女性は男ウケが悪いと噂されていましたね笑
しかし、これも差別化の1つなので成功なのでしょう。
商品だけでなく、スタッフ、店の雰囲気も差別化には大切です。
当時、高級な品揃えのショップでは珍しかったと思いますが、スタッフは割とフレンドリーな接客で、「お客様は神様」という概念はありませんでした。
これは正直今でも私の中に残っています。もちろんお客様は有難い存在ですが、お客様と私達スタッフは対等です。
お客様と共に成長し、一緒に未来へ進んで行くのですから。
また、お客様に「提案する」というよりは、「一緒に似合う品を探しましょう」というスタンスで顧客を増やしていました。
プロとしての提案はある程度はしますが、型にはまった提案は誰でもできます。ですので同じ商品を勧めるにあたっても、お客様によって着方が違ってもいいのです。
大袈裟に言えば、ロングスカートなのにミニワンピースとして着ています、でもOKなのです。
デザイナーからすれば、何してくれてるの?!と言われそうですが。。。
その結果、同じブランドの同じアイテムを選んだのに、人と被っても同じ品物だと認識できないのです。
このようにその人に合わせたオンリーワンを作ることをモットーにスタッフ教育を行なっていました。
お客様のなかのオンリーワンを見つけ、もしくは一緒に作り上げ、そして育てていく思考は、どんな仕事をしても自分の中で大切にしている1つになっています。
ここで誤解のないよう付け加えますが、デザイナーの意図、シーズンのテーマ、何にインスピレーションを得たのか、などをお客様には必ず伝えるよう、スタッフの教育をしていました。
この情報が聞きたいが為に通って頂けるお客様もいたくらいです。
【差別化:ディスプレイ】
そして、そんな品揃えが沢山の人の目に触れるよう、外から見えるディスプレイにも注意を払っていました。
今でしたら、SNSで発信できるのでしょうが、その頃はSNSが活発ではありませんでしたので、インターネットでお店の品揃えや雰囲気を調べてから来店する、という流れはありません。
新規のお客様が一番初めに目にし、入店するかどうかを決めるのがディスプレイなのです。
ディスプレイのトルソー(マネキン)に着せる洋服や小物1つで入店数が変わります。中には着せているだけでどんどん人が入店する事もあるのです。びっくりですが。
売れるか売れないかはその後の問題で、まずは入店して頂かないと話にならないですからね。
じゃあ、売れ筋の同じ商品ばかりトルソーに着せておけばいいのでは?とお思いでしょうが、そうそう当たるトルソーって出来上がらないんですよ。そんな当たりのホイホイ状態のトルソーは1年に1回あるかないかです。
そして当たりのトルソーも不思議と2日以上は続かないのです。
天気や気温によって、また昼間と夕刻とトルソーは変えていたので、1日最低2回は変更します。
入店数が少ないなら4回程変更していましたね。
トルソーは重いですし、商品を傷つける恐れもあることから面倒な業務であり、スタッフはなかなかしたがりません。お店の顔となる責任のある業務になりますので、余計でしょう。
そこで誰のディスプレイが入店数が多かったか、など楽しく競ってもらえるように工夫していました。今風に言うと、「ゲーミフィケーション」ですね。
スタッフ皆のモチベーションUPにも繋がった企画の1つです。
主には以上のことから、前年比120%~150%の売上と、結果が出ていました。
当時の流行がヨーロッパファッションの時代だったので、時流にちょうど乗れていたというところも大きかったと思います。
しかし、先述した通り、頭を打ち、苦労した点も多いです。
良くも悪くも我が道を行く性格のスタッフが多く、これまでは店長といった管理職がいなかった事もあり(上司といえば社長だけという会社でしたので)人事システムが変更され、スタッフの動揺もみられました。
その中で、どうしたらスタッフに上司として認めてもらえるか、第三者の目から見た自分を意識して仕事をしていました。
ですが、日常の業務に追われ、時間がなくなり、ついにはスタッフとのコミュニケーションが取れなくなっていたのです。
時すでに遅し。。。
何せ楽しいだけで業務を遂行していましたし、店長の仕事が何かもわかっていませんでした。
ここで本当の意味でのチームワークとコミュニケーションの大切さを考えさせられ、またモチベーションって自分であげるものではないの?人からあげてもらわないと保てない人っているの?
という新たな課題に取り組むこととなりました。
具体的には
新しいスタッフとのコミュニケーションを確保する時間がなくなり、新人スタッフの教育を既存スタッフに任せきりとなりました。
その結果、「新人スタッフのモチベーションが下がる⇒既存スタッフのモチベーションも下がる⇒活気がなくなる」という最悪なサイクルとなり、新人スタッフ退社一歩手前まで行ってしまいました。
ここでやっと気づくという店長失格な仕事っぷり。
この時、「コミュニケーションからでしか生まれない人との繋がりがあるんだ」ということ、「モチベーションは自分で保っていくものだと思っていたが、他人にモチベーションをあげて欲しい人もいいるのね、同時に、人のモチベーションって上げてあげる事ができるのね!」ということに気づいたのです。
それからは日常業務を就業時間外に持っていき、コミュニケーションを優先するようにし、事務作業は任せられる範囲でスタッフに預ける事にしました。
まず、店舗全体やスタッフの動きをよく見て、誰にどんな得意分野があるのかを研究する事にしました。
そして、スタッフと個別にヒアリングの時間をとり、各自の強み弱みを一緒に見つけます。どんな人物になりたいのかなど夢や雑談も話す中、強みは伸ばし、弱みは小さな課題をあたえ、少しずつ成功体験を積み重ねていってもらう事にしました。
ここで新たな発見もありました。
新しく仕事を任せたスタッフの一部は、仕事が増えたにも関わらず、それまで以上に熱心に取り組んでくれる結果となりました。
業務が増えたとしても仕事を任せられる嬉しさがスタッフのモチベーション向上になること、また、業務には向き不向きがあるとも身をもって知りました。
そして私の一番の課題だったのが「伝え方」です。
同じように伝えても直ぐに伝わるスタッフとなかなか意図を理解できず、課題のクリアが難しいスタッフがいたのです。
能力の差ではないことは感じていました。なせなら、課題自体はスタッフ毎に違いはありましたが、そのスタッフに対して難しい課題を提示していたわけではなかったからです。そして同じ伝え方で話していても表情が違うんですよね。伝わったスタッフと今一つ伝わりきれてないスタッフでは。
ですので、私の問題ではないか、と薄々感じていました。
しばらく、何が原因だろうと悩み、本屋にいき、タイトルは覚えていないのですが一冊の本を選んだ記憶があります。(タイトル覚えておくべきでしたね泣)
それを読み、人に合わせた伝え方をしないと上手く伝わらないし、伝わらなければ意味がないことを学びました。
ざっくりいうと、当時は以下の3タイプに分けて伝え方を変えていたように思います。完全に私流です。
ニュアンス型:ザックリいえば、だいたい捉えてくるタイプ。勘がいいが暴走注意。
納得型:やる意味、理由から説明する。行動までに時間がかかるが忘れにくい。
従順型:指示や課題に従ってその通りにやってくれる。楽だが、自分で課題を見つけられない。
今でしたらコーチングなどが主流ですよね。
当時、知識があればもっと上手く早く、スタッフを成功に導いて行けたかもしれません。
上記の工夫をした結果、学生アルバイトも卒業まで続けてくれる子ばかりで新人スタッフの定着率も劇的に向上しました。さらに、スタッフのモチベーションも上がり、業務の分担もでき、良いことが多かったように思います。
管理職が日々の業務に追われ、教育という、緊急ではないが重要な業務にノータッチであることの怖さを実感した新米店長時代のお話でした。
このあと、さらに頭を打つ事になるのですが、そちらは次回に。
最後までお付き合い頂いた皆様、本当にありがとうございました。
大阪事業承継パートナーズ お問い合わせはこちら↓
関連する記事